365 Days of Experiment

365 Days of Experiment

音楽、料理、生活、創造に関するブログです。ユルブログです。ゆっくりしていってください。

すべてをぶちやめる:365日の実験の結果

こんにちは。ものすごくご無沙汰しています。

数人の人から「生きてる?」と聞かれたのですが、生きてます^^

SNSを更新しまくってるかと思ったら4月半ばにぷっつりと何も発信しなくなってしまったので、大丈夫かなこの人、、と思われた方もいると思います、すみません・・・

4月の中頃に体調を少し崩して、それはなんてことはなく、ちょっと休んで元に戻るかと思ったのですが、そのあと色々あり価値観が大きく変わってしまい、そういう自分に慣れなくて何と言っていいか分からないまま時間がたってしまいました。(今もあんまりまだ慣れてない。)

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価値観がどう変わったかというと、すごく説明しづらいのですが端的に言えば
「人間は存在しているだけでよく、そのことに心から納得したときが本当の人生の始まり」と
強く感じたということかと思います。(やっぱり説明しづらい、、)

現実的なことをきっかけに(いきなり壮大ですみませんが)、
人間はなんのために存在するのか?
どうして他者と分離しているのか?
どうして愛がない現実があるのか?
どこまでいっても、何を改善しても心の深くに不自由で息苦しい部分が残っているのはなぜなのか??などなど、
子どもの頃からの疑問についてもう一度考え、たぶん初めて、自分なりの納得できる回答を見つける、ということが起きました。

人間が抱える不足感は 言語の習得=自我の形成=ストーリーの構築 とともに生まれた幻想だったのだと気づき、認めたことで価値観が総入れ替えされました。

人間の存在意義、人間が真に根本的にやりたいのは、やっぱり愛を感じること、愛を知ることではないかなぁと考えました。愛は水のようなもので、どこからともなく自分の中から湧き出て外へ流れていき、反対に外から自分の中に入ってくることもあります。人間はそういう愛の流れを感じている水路、チャンネルのようなものかなと思いました。

愛を感じられる世界は、愛ではないものも感じられる世界です。この世界はそういう場所で、「愛」「愛ではないもの」「愛に愛ではないものがくっついているもの」などいろいろあります。愛ではないものを受け取ると「自分にはどこかダメなところがあるからこんなものを向けられるんだ」と仮定し、それが言語でストーリーとして定着されるわけですが(不足感)、たぶんその仮定が間違っているのだと思いました。

事実として起こったのは「愛も愛でないものもある世界で、愛でないものを体験した」というだけのこと、みんな愛を知ろうとしている途上の世界でそういう経験をしたというだけのことであって、それと「自分にどこかダメなところがある、できないことがある」ということにはまったく因果関係がない(むしろ「できないことがあるから愛を受け取れる」の方が因果関係としては成り立つし、人間の目的にかなっている)ことに気づきました。

そもそも間違っている仮定やストーリーを覆すための努力はどこまでいっても虚しく、終わりがなく、不自由です。そこから抜け出すのに必要なものは、自己改善でも成長でもなく、(1)自分にまつわるストーリー、幻想を捨てること、(2)ただ存在することにくつろぎ、愛も愛でないものも存在する世界でなるべく愛を知れるように目を向け続けること、だけだと気づきました。

そう気づいたので、そのストーリーや幻想と巧妙に紐づいた「どこかがダメで愛されてない私 → 努力して不足を克服し、存在価値を証明して受け入れてもらえる自分へ」というスポ根的なドラマチックな展開、感動への期待や執着をぶち捨て、「実は最初から存在してるだけでいい」というある種退屈な真実をラディカルに受け入れることにしました。そして、すべての幻想やドラマが消え去った後でそれでも残るものは何なのかを見極めようと思いました。

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何も証明する必要はなく、実はただ存在しているだけでいい、、、
という前提で自分の人生を見渡したときに気づいたのは、言葉は悪いですがまるで磁石がゴミを引っ掛けるように、「自分にはどこかダメなことがあるに違いない、改善が必要だ」という自分の中にある信念が、世の中に流布する本当はどうでもいい言説・幻想を引き寄せ、くっつき、一塊になっていたということ、自分がそれらを内在化させていたということでした。

私の場合は、その強力に内在化されていた言説というのは「成功しているアーティストがえらい」というものでした。アーティストとして成功すること、「食える」ことが一番幸せな生き方だと信じてました。

だけどここまできて冷静に考えてみたら、実はそれは本当に深いところで自分が信じていること、望んでいることとは全然関係ありませんでした。空想をめぐらすのが好きで、何かを創るのが大好きだという意味では、たぶん自分はずっとアーティストだったと思います。だけど「成功している人がえらい」「食えないならアートはやってはいけない」というのは、成長する過程で周囲の大人や世の中から教え込まれたものであり、自分の魂の望みや深いところで感じる真実とはまったく異なることに気づきました。

アーティストとして成功するとかしないとか、実は心の奥底では、本当にクソほどどうでもいいと思っていることに気づいてしまいました。。。

今でも音楽でお金がもっと入ってくればありがたいとは思います。だけど、それは時間をもっと創作にかけられるからというだけであって、音楽家として成功して創作により時間をかけられるようになろうが、極端な例で言えば宝くじに当たって創作により時間をかけられるようになろうが、本当にニュートラルにどっちでもよく、まじで成功とかどうでもいいと心の底では思っていたようです。(たぶん、心の底の底で本当はどうでもいいと思っているから叶わなかったのだと思います。)

じゃあ、自分は本当はどうしたいのか?自分の本当に純粋な願いは何なのか?というと、
自分が良いと思う音楽を創ること。本当にただそれだけであって、それ以外は全部雑音だとやっと分かりました。その純粋な願いを叶えるのに、誰にも言い訳をする必要はなく、誰にもそんな自分の存在を認めさせる必要もなく、何も証明する必要はない・・・

そこまでいったときに、その純粋な願いの遂行以外のことは、一回全部やめようと思いました。人生の前提が変わってしまい、以前できていたいろんなことがなんとなくできなくなったというのもあるし、純粋な願いだけに一度自分を100%向けてみたいと感じたからでもあります。

そういう感じでSNSも止まりました。各種のSNSもブログも、「自分を改善する努力をしないといけない」「苦手を克服しないといけない」「アーティストであるからには何かを発し続けなければいけない」とか、そういう幻想、思い込みが根底にないかというと、あるかもしれないと思ったからです。そういう不純なものは一回全部やめようと思いました。(そして、こういうことをどう言葉にしていいか分からないまま過ぎていった2ヶ月半くらいでした。。。)

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そのようなわけで、今はお金を稼ぐことと、作曲と、筋トレwだけしていて、それ以外のことを一切やめました。苦手なことはもちろん、できるけど良い音楽を創ることと関係ないことも全部やめました。

価値観が変わり、(書きたいことがあるとしても)書きたい内容も変わってしまったので、このブログもやめようと思います。

もともとこのブログは、人からいただいたアドバイスがきっかけで、SNSとか発信することが苦手な自分がブログで発信したらどうなるのかなーという実験込みで始めたもので、(あまり深く考えてはなかったですが)『365 Days of Experiment』というタイトルにしてました。
それで、ちょうど一年経ちましたので、キリが良いので一度やめようと思います。
(去年の7月3日に始めたので366日になっちゃってますが、そこはご愛嬌ということで、、w)

人に比べたらそんなに頻度は高くなかったかもしれませんが、自分的にはすごく発信した気分でした・・・。発信が苦手な自分が一年発信したらどうなるのか?という実験の結果は、純粋な願い以外のものはすべてぶちやめるという結果になりました( ^ω^ )

以前に書いていたシリーズはいろんな事情を考慮してブログではなく別の形で出そうと思います。そして、今後また書くことによる発信をしたい、する必要があると感じたら、そのときは別のブログを立てようと思います。とりあえずこのブログは残しておき、新しいものを始めるときはまた告知します。

が、ひとまずは音楽を作りたいのでしばらくはそれに集中します。それしかやりたくなく、その先に何があり自分がどう感じるか分からず、あるいは特に別に何もないのかもしれませんが、とにかくその一本道しか見えていないのでそれを進んでいこうと思います。

しばらくまた発信はないかもしれませんが、また音楽ができたりなんだりしたら、お知らせします。
いつも読んだり聞いたりしてくださっている方々、ありがとうございます。
梅雨ですが、元気でお過ごしください( ^ω^ )
それでは、また。

YouTube始めました(笑) →

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