365 Days of Experiment

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虐待、家系カルマ、流しそうめん(4):プチDVな彼氏とのお付き合い/暴力的な人々に見た共通点

こんにちは。今日は前回の投稿の続きで、20代の終わり〜30代のはじめに付き合っていたプチDV彼氏さんとの関係と、それが「自分が存在していること自体に対する罪悪感」(&そこからくる自殺願望)からの解放にどうつながったのか、書きます。

***

20代の終わり頃、4年ほどプチDVな彼氏とお付き合いしていました。(なぜ「プチ」なのかというと、4年ほどで手が出たのは4〜5回くらい?だったからです。今なら1回で即アウトですがw)

最初の頃は「あぁ、親にも殴られてたし、やっぱり自分に何か悪いところがあるに違いない・・・」と思っていました。また、殴られたときはもちろんケンカしたときだったのですが、「殴ってしまったのは、君がキレたから。僕は悪くない」という持論で、謝られたことはありませんでした。

「たしかにスピの本にも『世界は自分の鏡』としょっちゅう書いてあるし(←wwww)私が平和な気持ちなら、殴られることはないのかもしれない・・・」とか思ったり。

(※たしかに「世界は自分の鏡」なところはありますが、当時の私は解釈がまったく間違っていたと思いますw 健全な自尊心があり、平和な心を持った人なら、そういう暴力的な人とは速攻でちゃんと距離を取るので、そういう意味で「世界と自分は鏡」になっているだけです。)

「自分にはどこかおかしなところがあるに違いない」と固く信じていた私は、さらに本を読んだり瞑想して感情に振り回されすぎないよう努力したりww そんな"性格改善"の甲斐あって、彼とものすごく平和な関係を築けるようになりました・・・のですが、その様子はどんな感じか、というと、


彼が露悪的なことを言っても、一切感情的な反応をせずに無言or「そうなんだね」で完全スルー( ^ω^ )。

「お前、浮気してるだろ」と根も葉もない疑いをしょっちゅうかけられても、「全然。どうしてそう思ったの?」と優しく問い返し。

彼が数ヶ月に一回、飲み屋さんで他のお客さんにケンカをふっかけても、帰り道で(たしなめる代わりに)、彼の「アイツが云々かんぬん」と言っているのを能面で聞き流し( ^ω^ )。


・・・おや???( ^ω^ )


これ、もともとキレやすいのは彼の方で(もしくは同レベル?笑)、私が一方的に悪かったなんてことはないのでは???

とやっと気づいた頃には、付き合って3年を越していたと思います( ^ω^ )

どんなお試し行動に出られても能面の優しくする私を見て、彼はなんか幸せそうでしたが、私にとってこの関係はパートナーシップというよりも、もはや精神的介護をしている気分でした(そして、もはや自分が能面すぎて逆に心配になりはじめましたw)


そして、この無限に相手をケアすることを求められる感じ・・・めっちゃ見覚えあるなぁ・・・。

あぁ、親だわ

と気づきました。


冷静になってみると、親とその彼には、妙な共通点がありました。

・とても繊細な心を持っている。
・なのに、自分の中の痛みや苦しさと向き合うのが一等苦手。(見て見ぬふりをしようとする。自分でケアしない。)
・近い人には、無限に自分に優しくしてくれることを期待している。
・それが得られないと、すぐにキレる。
・なぜか被害者意識が強い。
・殴っても、酷いことを言っても/しても、自分が「被害者」なので、悪いことをしたとは思っていない。
・ニュースなどで辛い状況を訴えながら泣いている人などを見ると「気を引こうとしている」「売名行為」など、超斜め上の解釈をする。
・なぜか常に周囲に「悪者」がいて、愚痴と悪口が絶えない。
・常に何かしら怒る理由を探している。
(言いたい放題、列挙してすみませんw)

・・・・・・なるほど・・( ^ω^ )

前回の記事で書いた「自己愛」を下手なりにしばらく実践した私は、彼も親も、自分で自分を愛するということをせずに、人からの無限に愛を供給することで心の隙間や傷を埋めようとしている人たちなのだと腑に落ちました。

精神的ニーズなど当然自分自身にしか分かるはずはなく、それゆえに自分でケアするしかないのですが・・・それをせずに周囲から無限に愛を求めたり、「お試し行動」を続けて、自分が自分に与えるしかないものを周囲から供給しようとしてるんだなぁと思いました。

心理学の本とかに書いてある「自分で自分を幸せにできない人は、人とも幸せになれない」「自分をまず愛して大切にするのが、幸せの基本」というのは、こういうことなのか・・・・・と心から納得しました。


そして、そこが解消されない限り(彼らが自分で自分を大切にすることを始めない限り)、絶対に彼らが平和な心や幸せを手に入れることはないのだと分かりました。

つまり、不幸であったり、しょっちゅう周囲に怒っていたり、殴ったりするのは、その人の心の問題であり、そこには私がどれだけ「いい子」かとか、どれだけ「いい彼女か」ということは一切関係ないのだと心の底から納得しました。


子どもの頃から「自分は親を不幸にしている」と思い悩んでいた自分にとっては、自分が存在すること自体への罪悪感(それが自殺願望につながっていました)から大きく解放された発見でした。


※なお、ここまでのところは多分人によっては「は?殴る?ないわ。本人の心の問題だよね」とおそらく10秒で終了だと思うのですがw、私は納得するのに何年もかかってしまいました・・・orz


そういうことを考え始めてから少しして、音楽のリハで会えないときについてまで「浮気してんだろ」といちゃもんをつけられたところでw、私は無言で別れを決意しました。

次に続きます。

虐待、家系カルマ、流しそうめん(3):回復の下地〜「自分を愛する」とは・・?(?ω?) →