365 Days of Experiment

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音楽、料理、生活、創造に関するブログです。ユルブログです。ゆっくりしていってください。

← 虐待、家系カルマ、流しそうめん(4):プチDVな彼氏とのお付き合い/暴力的な人々に見た共通点

虐待、家系カルマ、流しそうめん(3):回復の下地〜「自分を愛する」とは・・?(?ω?)

こんにちは。
こちらの「シリーズ再開にあたって」に書きましたが、前回の投稿から非常に長い間が空いてしまいましたので、今日はこれまでのまとめから入ります。(これまでの投稿のリンクは、「シリーズ再開にあたって」に貼ってあります。)

それでは、どうぞ!↓

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<これまでのまとめ>
幼少期のある時期から親に日常的にボコされ、罵られ、怒りと「死にたい・・・」の狭間でウツな私。20代は、音楽を通して知り合った人たちの優しさにゆっくり癒されていきましたが、決定的にウツやトラウマから立ち直るきっかけになったのは、意外にも20代の終わり〜30代のはじめにかけてのプチ DV彼氏とのお付き合い&そこからの離脱でした。

ここからは、その「決定的に立ち直るきっかけ」について詳しく書いていきたいと思いますが、まずは、今日はそのころに自分がどんなことを考えていたか・・・回復のいわば「下地」になった部分を書きたいと思います。

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周囲の人の優しさに癒されつつ、20代の半ば以降は、前回の記事の<回復の大まかな流れ>で書いたように、とにかく精神不安定な状態から立ち直りたくて、役立ちそうな心理学やスピの本を読み漁り、自分に響いたことを実践していました。

瞑想してみたり、本に書いてあるワークをやってみたり(親に手紙を書いて燃やすとか、そういうやつww)、人との健全な「境界線」を持てるように頑張ってみたり(そして失敗したり( ^ω^ ))。

どれも学びがあり、精神もさらに少しずつ安定していったけれど、心から「本当に幸せで、傷を克服した」とは言えないというのが20代終わりごろの自分でした。

もうだいたい世に出てるワークみたいなのやり尽くした(←w)し、あとはどうすればいいのだろう?何が足りないのだろう?と思っていたころ、「本当に幸せになるには"自分を愛する"ということ(すなわち"自己愛")が大切で、人から愛を得て幸せにしてもらおうと思っているうちは、幸せになれない」という言論をよく目にするようになりました。

しからば、と思い(別に失うものないので)やってみました。特に正解とか分からないので、ただ「大切な人に対してはこういう風にするな」あるいは「しないな」ということを基準に自分に接することにしました。

で、やってみたところ、思った以上にたくさんの精神的な発見がありました。

まず、自分がいかに自分にひどい言葉をかけていたか、ということに気がつきました。

前回の記事に書いた過去の自分の言葉を引用すれば、
「親にも愛されていないお前(自分)はどこかおかしいに違いない」
「暴力をふるわれるのはお前(自分)が悪いからだ」
「自殺する勇気のないお前(自分)は情けない」 etc. etc.

人にはぜっっっっっっっったいに、天地がひっくり返ってもかけないであろう、本当にひどい解釈&言葉を、自分に(頭の中で)投げかけていました。

「音楽の才能ない」
「怠け者」
「甘ったれ」

など、まったく根も葉も根拠もまったくない親の妄言(w)も、何回も頭の中で引用しては、

ああ、きっとそうなんだろう・・・・・・(;_;)と思ったり。

(今は、私に「才能ない」って言うとはセンスがたかが知れてんなぁ・・と思うくらいになりましたww)

そういう言葉を自分自身にかけるのがクセになっていましたが、それを少しずつやめていきました。あとは、常に心では自分の味方でいる、とか。本当に欲しいものがあったらケチらずに買うとか。

自分に愛を向けてみると、すごく嬉しい気持ちになったり、逆に今までどんだけ(精神的)ヘルにいたん自分・・・()と思って泣けてきたり、ちょっとジェットコースターみはあるものの、確実に、そして着実に、精神の健康状態と幸せ感が「底上げ」されていくのを感じました。


で、ここからが本題なんですが(笑)。

プチDV彼氏さんと付き合っていたのは、そのように「自分を大切にする、愛する」ということを少しずつ実践し、だんだんそれに慣れていった頃でした。

長くなってしまったので、次に続きます。
シリーズ再開にあたって →

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